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今日の新聞に、19歳の投稿が載っていました。
—–現代はパソコンや、携帯電話の情報量に目を回してしまう。
人の頭脳というものが、現代の技術に追い付いていないのではないか?—–
とのこと。
確かに、電車や街中を歩いている人でも、片手にはスマホを持ってうつむいている人が多々います。
情報の取捨選択と、自分の幸せは決してイコールではないと思います。
情報過多と言ってしまえばそれまでかもしれません。
でも、昔の人は新聞や本から自分に必要な情報を得ていたものが、今はインターネットが中心となって情報を得ている。
情報の取捨選択は選択する自分自身にあるはずなのに、なぜか、常に情報ばかりを追ってしまっているような気もする。
本当の人間の幸せって、私にも良くは分かりません(笑)
でも、やっぱり、人と人とが接する中でいろんな幸せが生まれていくのかな?
とは思います。
19歳の警鐘。
ふと自分が顔をあげてみたら、まわりの人はみんな下を向いていた。
そういうことですよね。
世間が、リアルの世界に無く、パソコンやスマホの画面の中に自分の生活空間を移行してしまっているような気もします。
好きな人がいて、結婚して、子供ができて、、、
そういった当たり前の幸せを画面を通して知っても、最終的に自分の幸せには結び付かないのかな?
と。
同じ投稿欄に、15歳の方が書かれた記事がありました。
—-ネットは情報が多すぎて、うその記事も多くある。私はネットより新聞を読んでいる。——
これも、事実とは言いませんし、情報を受ける側の問題なので、それがいいとも悪いとも言いません。
しかし、確かに新聞の情報はめったにウソが書かれているということはないでしょう。
テレビや新聞といった従来の情報吸収の場から、インターネットへと転換していることは否めませんが、情報はあくまで情報。
それを、受け取る側がどう扱うのか?
どう取捨選択するのかは受け手の問題。
でも、そうはいっても、今日の新聞に投稿されていた内容、今の若い人でもそう思うのですから、私のような40歳の中年がそうそうと頷くのもまた真実(笑)
「人間らしい」という言葉も死語になってしまうのか?
不安になることもありますが、
人が生きている世界は画面の中ではありません。
最近、ヒマがあればずっとパソコンの画面とにらめっこしていたので(笑)
ちょっと、ハッとさせられてしまいました。。
文章ではありますが、自分自身は昔は機械のようで時期もありましたけれど(笑)
いまはだいぶ人間らしくなってきたつもりです(笑)
情報発信も良いけれど、もう少し、現実の世界に目を向けて、
たまにはぼーっと夕日も眺めるのもいいのかもしれませんね。
そんなことを考えさせられる、今日の新聞でした。
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