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幼少期の記憶なのでおぼろげなのですが、、、
自分が覚えている時期にはすでにお腹を横一線に切った後がありました。
うまれてから40歳になる今でもそうですが、便秘と下痢を常に繰り返してきました。
こういうからだなんだと思って生活しているのでそんなに深刻には思っていませんでしたが、30歳を過ぎたころ、一度内科に行って先生に相談をしました。
このとき、内科の先生からは、
「スコープ?で見る限り、その手術の後に内臓が癒着していて、腸が一部細くなっているため通りが悪くなっているとのことで、この手術の後は何の後ですか?」
と聞かれたので、
「親からは盲腸の跡だと聞いています」
とこたえると、
「盲腸はこっち。(ちゃんと盲腸の跡はわきにありました)だから、この大きな開腹の跡は他の理由だと思いますよ。一度ご両親とお話しなさった方がいいと思います。」
と言われたので、母親に聞いてみると、私の記憶の無いころ、おそらく3歳までの間に、実は人工肛門をつけていた、との事実が判明しました。ただ、一時だけして、もう今は体からは取りだしているとのことでした。
まぁ、今それを知ったところで体がどうこうなるとも思ってなかったのですが、どうやら、幼少期は本当に長く生きられるか分からなかった体だったようです。。
自分の記憶に盲腸の手術の記憶はうっすらとあります。
オレンジジュースを飲んではきまくって、そのまま緊急入院した記憶がうっすらとあるので。
その後、小学生に入る前にも一度入院しました。このときは点滴だけで2週間くらいICUに入っていた記憶があります。
あ、いま(40歳になって)点が線になりましたが、このときに人工肛門の取り出しを行っていたのかもしれません(汗)。
そういえば、何のために入院していたか良く覚えていません。。
それと、小学1年生の時にも入院しました。
これもあまり記憶にありません。。
何だったのか?今度親に聞こうかと思います(笑)
なので、ともかく体の弱い幼少期だったんだと思います。
小学生に入っても親と先生の間でいろいろ相談をしていたのでしょう。
体育の時間は全て見学でした。
プールも一度も入ったことはありませんでした。
10歳を越えて、小学5年生くらいだったでしょうか?
だいぶ体力もついてきたとのことで、種目によっては何かしら参加をしていましたが、まともに体育の授業に出たのは中学になってからでした。
基本、小学生の時はほぼ見学だったと思います。
さて、そんな体の弱い幼少期。
まだ、現在の実家に移る前の川越都心部に住んでいたころの記憶は今ではほとんどありません。
記憶があるのは小学生に入ってからでしょうか?
今住んでいる家に引っ越してきたときから、おぼろげながら記憶の片隅にぽつぽつと思いだされる程度です。
小学2年生のころだったでしょうか?
ファミコンが発売されたのは?
そのころから急激にテレビゲームにハマっていきました。
外に出て遊ぶということもあまりなく、いろいろな友達の家に行ってはスーパーマリオをやっていた記憶があります。
小学校低学年のころにはキン消し、ビックリマンシールがはやっていて、例にもれず集めては友達とワイワイやっていましたね(笑)
その後ミニ四駆やガンダムのプラモデル、ラジコンなど。
でも、小学生時代の終わりごろにはドラクエを中心にゲームに夢中でした。
性格はというと、どちらかというと無口なほうだったかと思います。
自分の夢中になることは良く喋っていたと思いますが、どちらかというと人の輪になじめない感じの大人しい小学生時代だったような気がします。
ちなみに、小学校までの登下校はほぼ親が送り迎えをしてくれていました。
体力がない、ということで、毎日の送り迎え、、、
今考えると親も大変だっただろうなと思いますが、本当に大事にされて育ったんだと思います。
どんだけ体に障害?を持って産まれてきたのか、今の自分には良く分かりませんが、当時の両親にとっては初めての子供がこれだけいろいろあったのだから、そりゃ大事に育ててきたんだろうなと思います。。
もう少し、親孝行しないとなとこの記事書きながら思いましたね(笑)
幼少期から小学生終わりまではこんな感じでした。。
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