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中学校からいよいよ、ちゃんと自分の足で学校まで通いはじめました。

ワイシャツにネクタイ、ブレザーに慣れない肩掛けカバンをかけて通学。
最初の1ヵ月は結構しんどかったですね。。
それよりも大変だったのは、中学校が全員部活動に入らなければならなかったこと。
自分は何の気なしにサッカー部に入りました。
野球の方が好きだったですが、サッカーの方がやる分にそこまで道具とかは必要でないかなーとか、考えていたんでしょうね。
で、もともと体力には自信がありませんでしたので(笑)、最初の3カ月くらい?は1年生はひたすら体力づくりでランニングやら筋トレやらのまいにちでした。。
結果的にはこれが良かったのかもしれませんが、長距離そうはどちらかというと得意な方でした。
個々の筋肉は全然ありませんでしたが、なぜでしょうね?

そんなこんなで、サッカー部。一年生は自分を入れて7人くらい?
はっきり言ってこれではチームが組めませんでした(笑)

なので、必然的にレギュラーにはなったのですが、3年生は良く覚えていませんが、2年生は15人くらいいましたので、自分がレギュラーになるには3年になるまではずっと控えでした(笑)
そんなにうまいわけでもなかったので。。

で、中学校生活はどうだったかと言いますと、1年の間で前期と後期?で学級委員が交代するのですが、3年間で6回分ある中のたぶん4回くらいは学級委員をやっていたと思います(笑)

修学旅行だとか林間学校だとか文化祭だ体育歳だとかいったイベントごとの実行委員もなぜかほぼすべてなっていました(笑)

体力がついたことで、小学生時代までは夜8時にはねていた生活でしたが、夜の11時12時と起きていられるようになり、中学の2年生の中間テストでは5教科(国英数社理)で500点満点中480点くらい取ったような気がします。このときは、2日間の試験でその前の日くらいからほぼ3日間くらい寝ずに勉強できるくらいの体力がついていました。

もともと、勉強が好きではなく、本も読まず、国語がとても苦手でしたが、このころから急に読解力?が身に付き(笑)急激に点数をとれるようになりました。

かと言って、ゲームも全盛でした。
ドラクエ3とか4とか。キャプテン翼とか野球ゲーム、桃太郎伝説とか、、なんか夜通しやっていたような記憶があります(笑)

体力がついたことで、勉強・部活・ゲームと幅広く自分なりに楽しんでいました(笑)

1年生の時から塾に通い始め、3年生の時には塾を変更し、ひたすら高校受験に向けて勉強ばっかりしてました。
確か中学2年生の時だったと思いますが、技術家庭科の時間にラジオを作りまして、それを自宅の机の前でいつも聞いていました。このとき、ラジオでほぼ毎日のように聞いていたのが阪神タイガースの試合の実況でした。この年が1992年だと思うのですが、毎晩勝った負けたの試合展開で阪神タイガースにのめり込むようになっていきました(笑)

最終的には優勝はできませんでしたが、ここから完全に阪神タイガースのファンになっていきました。

翌年、なかなかサッカー部の中で自分の居心地が悪く、チームともうまく溶け込めていないかなーと思っていたので、個人競技の陸上部に転部することにしました。
陸上部では、中距離の800mを専門にしましたが、そんなにパッとはしませんでした。
まぁ、チームでやる競技よりかはだいぶ気は楽でしたね。

そんなこんなで1学期が終わる頃に部活動も引退。
高校受験にひた走る時期を迎えます。

で、塾の取り組みなのか、夏の合宿にあの時は2泊3日くらいあったのかな?
1日の中に12時間くらい勉強の時間が組み込まれていました。
これが、けっこう自分の性にあったのか、合宿から帰ってきてからも、そのサイクルを夏休みの間中続けました。
1日12時間、ひたすら勉強のサイクルです。

参照・このころのスケジュールアホみたいに勉強してた中学時代のスケジュール思い出しながら(笑)公開します!!

で、2学期以降も受験に関係する教科以外の時間は、ひたすら自分の好きな科目の勉強をしてました。
このころはホントくるってましたね(笑)

で、高校受験4校くらい受けましたかね?
全部合格して、最終的に共学の高校に決めました(残りの3校は全部男子校だったので(笑))。

特にコレと言って面白いことのない中学時代でしたね(笑)

ほれたはれたとかは全くなく、、
どちらかというと、優等生ぶった感じの悪いヤツっていう人間だったのではないでしょうか?
当時の自分自身も、自分のことをロボットみたい、と思っていました。

あまり感情を表に出すことなく、愛想だけは良くしていた感じで、腹の底は見えないし、普段は無愛想だし、何が面白くてこいつは生きているのだろう?と自分が他人なら思いますね(笑)

そんな、あまり面白みのない、優等生ぶった人間でした。。
ただ、今考えると、人並みの生活を送れていた、ということを考えれば親は一安心だったでしょうね。
小学生までの生活を考えれば、まわりの子たちと一緒に登下校ができて、曲がりなりにも部活動もして、成績も優秀となれば、親としては黒牛たぶんすくすくと育った言った感じでしょうからね。

ちなみに、これは、高校?大学になってから?
中学時代にお世話になった先生に親と一緒にご挨拶に行った時のこと。

高校受験の時、国英数の3教科ばかり勉強していたのですが、埼玉県の場合、最後に公立高校の受験が控えていました(私立は2月いっぱいで、公立高校は3月に入ってから受験)。
そのとき、私は川越高校という、当時の埼玉県では浦和高校の次に偏差値の高い高校で、そこを受験するつもりでしたが、最後の私立高校の受験が終わってから2週間くらいで残りの社会と理科を勉強するつもりでしたが、あまりに範囲が広くあきらめてしまいました。

このとき、先生から当時の自分の内申書を聞かされました。
内申書には各教科10段階評価で先に高校の方に通知を出すらしいのですが、私の内申書は9教科で90だったそうです。。

だからデキがいいかと言ったらそんなことはないでしょうが、学級委員始め各実行委員などの実績を考えれば公立高校でもどこでも通ったでしょうね、と言われました。。

中学時代はホント、外見的には評価は高かったのかもしれませんが、内面的には本当に面白みのない人間だったと思います。
これが、高校に入ったことで方向性が逆転して行くことになるのです(笑)

まぁ、一番勉強したのは中学時代でしたね、私の人生においては(笑)

そんな、中学生時代でした。。

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