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当時の私は中学3年生。
夏休み、塾の合宿と同じ時間帯で1日12時間以上勉強をしていた時のお話です。
基本的には0:00まで勉強していました。
その日も0時まで勉強し、ちょっと飲み物を飲みに台所に行きました。
台所のテレビを何の気もなしにつけて、飲み終わったらそのまま自分の部屋に行くつもりでした。
そこでたまたまやっていなのが、緑のタイツを履いた日本人と、外国人のプロレスでした。
初めてみるプロレスでした。
別にどっちが勝っても痛くもかゆくもない試合でしたが、私の性格上、初見でガイジンが勝つだろうなと思ってしまったため、どうしても弱い方に加担したくなるのですが(笑)皆さんはどうでしょうか?
こんな性格だったので、この当時(1992年)、受験勉強のさなかに阪神ファンになったんでしょうね(笑)
阪神ファンではありますが、埼玉出身の福岡在住でなぜ阪神ファン?
同じころにJリーグもはじまりましたが、こちらも浦和レッズ(2年間4シーズン最下位?)のファンでしたし(笑)
で、プロレス中継を見行ってしまった私は、解説に耳を傾けます。
どうやら日本人は三沢という名前らしい。
ガイジンはハンセンという名前らしい。
どうやらこの試合はベルトというものがかかった大事な試合らしい。
で、三沢は今まで一度もハンセンに勝ったことが無いとのこと(たしか。)
まぁ、大方の予想はハンセンが勝つだろうと解説実況を含めてそう見ていました。
私もテレビの前でそう思いながら見ていました。
お互いへろへろになりながらも最後までたちあがり、決着は三沢のエルボーからのフォールでハンセンから3カウントを奪います。
このときの盛り上がり方もまたすごかったです。
のちのちいろいろわかってくると、三沢はこのときはじめてベルト(三冠)を取った記念の試合だったこと。
また、G馬場率いる全日本プロレスとA猪木率いる新日本プロレスがあって、三沢が所属しているのは全日本で、ジャンボ鶴田というレスラーがこの直前に(1992年7月)長期離脱であった中、日本人として三沢が全日本を支えるための大事な試合だったこと、そういう意味でとても盛り上がった試合でした。
当時の自分はそんなことは全く分かりませんでしたが、ともかく、この試合だけで、三沢のファンになりました。
また、プロレスが見たいなーと思いつつ、受験勉強のさなかの30分(途中からだったので、実際は15分くらいだったと思いますが)の小休止の中で見た、ホントにたまたま見たテレビのプロレス中継から、一気にプロレスの魅力に引き込まれていくことになります。
この後、高校生となった私は毎週木曜日には『週刊プロレス』を買って電車の中で読んでいました(笑)
プロレスのゲームにはまったのもこのころ。
大学でも『週刊プロレス』を買って読んでいました。
結局、大学卒業してからは本当に離れてしまいましたが、多感な10代20代大事な時期に高校大学と都合7年くらいはどっぷりとプロレスにハマっていました。
受験勉強しろ!と声が聞こえてきそうですが、夏休み中は毎日12時間以上、その後も試験前日まで毎日10時間以上は勉強していたと思います(笑)
おかげで受けた高校4校とも受かりました(笑)
優等生?だった中学校時代 部活はサッカー部から陸上部へ
そう考えると、この時期、1992年の阪神のラジオでの実況中継も毎晩のように聞いていましたから、勉強しながらいろんなところにアンテナ張っていたなーと感心しますね(笑)
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