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人はどちらかというと、自分がかわいくて、ついつい人の悪口はいうものの、自分には甘いという傾向の人が多いような気がします。

自分を棚にあげるという言葉にあるように、同じ組織に皆同じ立場で入っていても、自分だけは特別、他人は悪いように言っている人、また、他人はこうしているが自分は違う、という人。
多いような気がします。

人は誰かと接するとき、客観的に人を見ることができます。
だから、些細な仕草、言葉づかい、言葉が目についてしまうのは仕方がないことだと思います。

で、私が思うのは、「人のふり見てわがふりを直す」自分でありたいな、と思うのです。
ある程度の年齢になると、人から注意されることが少なくなります。

こうした方がいいよ、これはしない方がいいよ、とか。
仕事から外れてしまえば特にそういう傾向が強いと思います。

だからこそ、自分を注意できるのは自分しかいません。
たとえ家族でも、言い合える関係を維持していくことは難しいような気がします。
もちろん、いろんな人がいるようにいろんな家族がいます。
また、いろんな友達がいます。上司であったり、ときには後輩であったり。

でも、自分のことを注意してくれる人は年齢とともにどんどん減っていくと思います。
どれだけ謙虚になっても、人からはいわれなくなる以上、『自分との対話』の重要性はとても大きなものになると思います。

人の荒が見えたときに、その人に執着するのではなく、「じゃあ、自分はどうなんだろう」と自分に目を向けられるようになると、自分の幅が広がるようになると思います。それだけの心の、気持ちの余裕がないとなかなかこういったことはできないように思います。だからこそ、余裕をもつ努力をしていったら良いのではないかと思います。

何を言われても感情的にならず、冷静に対応できる、心の余裕、気持ちの余裕。

これが、必要な気がします。

相手がどうだこうだと言っているうちは、まだまだ自分に直すべきところがある証拠だとも言えます。
人のふりを見て、自分に目先を変えてみる、ただこれだけで、今までの日常生活や仕事なんかも見え方が大きく変わってくるのではないでしょうか?

自分を棚上げするのではなく、相手の人を上げてみましょう。
どうせだったら、高く高く上げてみましょう。
「この人はすごいな、自分にはできないな。」
「自分も真似してみよう」「自分はこういう人にはならないようにしよう」

いいことでも悪いことでも、全部自分が吸収する!
くらいの気持ちは持っていたいな、と思いました。 

あなたの周りにいる人で、特に悪く思っている人を注視して研究してみましょう。
何で自分はその人のことを悪く思うのか?
そして、そういう人でも必ず取柄はどこかにあると思います。
その人のいい部分って何だろう。

そう考えると、どんな人でも自分が学ぶことはあると思います。
全ての人からいろんなことを学ぶだけでも、あなたが変われるきっかけを作りだすかもしれません。
あなたがそうありたくないと褌をしめるきっかけを作れるかもしれません。

人は他人からの影響が一番大きいと思います。
ただ、すごいな、から、じゃあ、自分が学べることはないか?
常にアンテナを張っておくことは、自分自身の成長のためにはとても必要なことだと思います。

些細なポイントかもしれませんが、とても重要なことだと思います。
少し、見方を変えるだけで、自分が変わるチャンスが拾えるかもしれませんね。

自分の器が大きくなるだけで、ビジネスチャンスにも大きく関わってくると私は思います。

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