スポンサーリンク


私のどん底時代

鬼束ちひろさんの「月光」いい曲ですよね。

この曲、
私の中では
今でもあの苦しかった日々が
思い出されてしまうくらい、、、

何かに引き込まれていく
感じがするんですよね。

フリーター時代

あの頃、

そう、
大学を卒業して
就職もせず

廃れた日々でしたね。。

学生時代からフリーターへ

学生時代、演劇に没頭していた私は毎日が本当に楽しく、
大学4年生の春に行われた卒業公演で
晴れて演劇部を卒業したものの、
後輩の芝居にちょっかいを出し、
自己満の日々。。

後輩にとってはいい迷惑だったでしょうね(汗)

そんな毎日も
大学を卒業して一年がたつころ、
アルバイト漬けの毎日に疲れ果て、

持ち前の体の弱さもあり(笑)
仕事が続かない中
2002年の4月頃から6月くらいまで
日韓ワールドカップまでの3カ月余り、
完全な引きこもりの生活に落ち込みました。

1度は実家へ

一度は実家に帰ったものの
親から逃げ出し
友達の家に転がり込みました。

その後1カ月くらいで
もともと住んでいた1万9千円のアパートに
転がり込みました。

そこで自分と向き合うはずではあったのですが
いかんせん

何のために生きるのか?
が全く分かりませんでした。

生きる気力の無い毎日

演劇部時代の自分があまりにも楽しく
これからの人生を考えたとき

一体何を目標に生きていくべきなのか?

仕事も辞め
毎日テレビゲームをしていました。

が、ゲームも楽しくありません。

テレビを見てもなにも面白くない。

お昼にやっていた「笑っていいとも」を見ても何も感じない。

そんな毎日を繰り返していく中で

早くこの人生が終わればいいのに。

と毎日考えていました。

夜になっても、体を動かしていないから全く眠くならない。

題名にもありますが、
毎晩
鬼束ちひろの「月光」を繰り返し聴きながら
泣いていました。

「死にたい」「生きたくない」
毎晩毎晩、同じことの繰り返し。

おなかはすきません。
眠たくもならない。
起き上がるたびにため息をつく。

水道の水を飲み、
灰皿をあさり、
まだ吸えるたばこはないかと探し、
短くなっている煙草に火をつけ吸っていました。

食べるものもなくなり、
米置場の周りに散らばっている米粒を拾っては、
そのまま口に入れて食べていました。

人との会話が生の実感

どうしようもなく
財布に残っている小銭を握りしめ
コーラを買いにドラッグストアへ。

レジで交わす言葉が10数日ぶりの人との会話。

たったそれだけの会話で
自分が生きていると実感し
部屋に戻れば
「何でオレは生きているのだろう」
とまた泣いていました。。。

今考えれば
ほんと
軽くウツにでもなっていた
のではないか?
と思います。

風呂に入るとか
洗濯するとか
顔を洗うとか

そんなことなんか
どうでも良くなっていましたね。

自殺を考える

生きるために何かをする

というよりかは

どうやったら早く人生を終えられるのか

を考えていました。

包丁を持っておなかにあてながら
布団で横たわっていたこともありました。

大きな街道で猛スピードで走ってくる車に飛び込もうか?

踏切で電車に飛び込もうか?

直前まで行って

ぼーっと考えて

遠い目をして、、、

結果、何もできない自分がいました。
現実を考えると、
いろいろな人に迷惑がかかることも頭をよぎりました。

結局、弱かったんですよね。。

あのときどき
あと一歩勇気があったら
今の自分はいないと思います。

でも、当時の自分も思いました。
本当に「死ぬ」って『ものすごい勇気がいるな』。
そう思いましたし、今もそう思います。

本当に自殺する人たちって
ものすごい勇気を持って行動しているんだ
ということを私自身実感しています。

だからといって、その勇気があるのなら
「生きること」に使ってほしいと
今の自分は思います。

当時の自分はこの「勇気」がありませんでした。

死ねなかった。
怖かった。
勇気がなかった。

そう考え、また落ち込んでいきます。
自分は何もできない。
死ぬことすらできない。

そんな自分にさらに嫌気がさし、
死にたくても死ねない
生きたくもない
そんな中途半端な状態で、
同じところをぐるぐると考え続けました。

自分の中では
おそらくもう二度と来ることはないであろう
どん底を味わっていました。

なにをしても面白くない。
食べたいものがあるわけでもない。
眠たいわけでもない。
生きたいわけでもない。

ここまで落ち込んだ自分でも、おなかはすきます。
お金はどんどんなくなり底をついていました。

大家さんにお願いしてお米を分けてもらいました。

ご飯を炊き、一口食べました。

それ以上は次回のために取っておきました。

美味しいとも思いません。
食べたいとも思いません。

ただ、生きるために仕方なく食べるものが私にとっての食事でした。

転機

そんな期間を過ごしながら、あるとき友達から連絡が入ります。

日韓ワールドカップを一緒に見ないか?
とのことでした。

私は全然乗り気ではありませんでした。
自分のこんな姿をさらしたくもありませんでした。
しかし、その友達はもう1人を誘って
2人で私の部屋へやってきました。

もうどのくらいお風呂に入っていないのか分かりません。
ヒゲもどのくらい伸びていたのか分かりません。

友達は何も言わず
差し入れを持ってやってきて

一緒に笑い
一緒に叫び
一緒に盛り上がりました。

知らず知らず
テレビのワールドカップの試合に夢中になっていました。

この試合を見ている間は楽しかった。
本当に楽しかった。

久しぶりに笑った。
久しぶりに大声を出した。
久しぶりに人の暖かさを感じた。。

帰り際、元気をもらった自分は彼らに伝えました。

「もうちょっと、頑張ってみようかな。。」

彼らは、笑って帰っていきました。

ありがたかった。
うれしかった。
つらかった。
くるしかったし、くやしかった。

そして、私は泣きながら次のアルバイト先を探し始めました。

とりあえず働く

私の見つけたお仕事は携帯電話の修理工場。

当時の自分にはぴったりの仕事でした。。(注1)
そんな仕事をしながら、
毎週毎週
貯まった支払いを返済し

床屋に行き
歯医者に行き
病院に行き
少しづつまともな生活を取り戻していきました。

一年後にはお風呂つきのアパートへと引っ越していくことになるのです(笑)(注2)

どん底時代を糧に

このときの経験は絶対に忘れないと思いますし
今でも、食への考え方は「生きるために食べるもの」というものです。

いまだに、ご飯と納豆を食べています。(注3)

外食は1人500円まで。
1000円を越えるようならだいぶぜいたくな食事です。
お酒も飲みませんし、コーヒーもダメです。。(注4)

しかし
あのときの2人への感謝はまだまだ返し切れていないけれど
このどん底を抜けられたのはあの二人のおかげだと思っています。

いまは福岡という遠い地ではありますが、自分の一生を掛けて恩返しができればと思っています。

私自身
どん底というにはまだまだと
思う方もたくさんいらっしゃると思いますが

自分にとってのどん底という経験は
今出会う人たちと向き合う中で本当に良い経験をしたと思っています。

人それぞれ
いろいろなどん底にいる人たちに
「自分もこんな経験をしてきた」
と誇れる(笑)どん底を持っているということは

どれだけ共感してもらえるのか?
どれだけ寄り添えるのか?

こんな経験をしてきた自分が
「一緒に頑張ろう」ということで
相手の胸に響くかどうかは分かりません。

が、それでも1人1人に寄り添いながら、
一緒に前へ進んでいくことができたなら、
私にとってあのどうしようもない
時間を過ごしたことに意味を感じないわけにはいきません。

私にとってはとてもかけがえのない時間を過ごしたアパートでの生活は
いまではもう戻ることのできない貴重な経験として私の財産になっています。

ウツの人も相手にしてきました。
借金苦の人。
精神安定剤や
睡眠薬を常用する人。
自暴自棄になっている人。

いろいろな人と出会い
いろいろな人と
一緒に仕事もしてきました。

「類は友を呼ぶ」と言いますが
今私が出会っている人は

縁すべくして縁している
ように思えてなりません。

人はどん底から這い上がる力を必ず持っています。
越えられない壁が立ちはだかることもありません。

苦しい時は苦しいと言っていい。
辛い時は立ち止まればいい。
泣きたいときは大声で泣き叫べばいい。

それでも前を向いて生きていかねばならない。

生きるということはとても辛いことです。

それでも
私のように
今苦しい時を乗り越えた先に

「あのときがあったから今がある」

と思えるはずです。

そして、苦しい時期を、どん底を経験した人は本当に強い。
人間としても、とても器が大きくなる。

私自身
この『どん底』と呼べる時期を
経験していない人間は
なんだかのっぺらぼうに感じてしまいます。

もちろん、そんなことを相手には伝えませんが。。。

個人的には

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」

と思ってしまいます。(注5)

別に望んでそうしろとは言いませんが。。

私の『どん底』時代。
時間としてはとっても短かったですが
当時の自分としてはもっともっと長かったように感じます。

いまでも、鬼束ちひろの「月光」を聞くと
当時の無気力だった自分を思い出します。

あんまり聞き続けると引き込まれてしまうので
何度もきかないようにはしていますが、いい曲ですよね(笑)

最後に

どん底時代を経験したのが2002年。

今、2018年。

15年以上も前の出来事でした。

あっという間といえばあっという間でした。

このどん底時代、『月光』という支えがありましたが、

この時期を
本当の意味で
自分の人生のどん底にするために

必死に頑張ってきたように思います。

食生活は相変わらずですが(笑)
おかげでコツコツとお金を貯めて
マンション2部屋を賃貸に回して家賃収入を得

事業としても軽運送業というジャンルで会社を立ち上げ
今では月収100万円以上を達成しました。

本当の意味で
今が苦しい人へ。

今がどん底にするために這い上がる力は
人間は持っています。

言い訳を周りに求めるのではなく
自分自身が階段を上がらない限り
何も始まらないし
何も変わらないと思います。

このどん底時代から這い上がるお話し、
もし良ければ参考にしてみてください。
1万円もらったら何日でなくなりますか?

周りの人には変人と呼ばれています(笑)
そんな私のプロフィール。
覗いてやってください(笑)
福岡の阪神ファン たけってどんなひと?こんなひと(笑)
.

(注1)どん底から這い上がった仕事:
人生の1/4を過ごした携帯電話の修理工場で、まともな生活を取り戻しながら正社員、そして福岡へ
(注2)この後引っ越した部屋:
はじめてお湯の出るアパートへ
(注3)いまだにご飯と納豆です:
ご飯と納豆だけで30年近く生きてきた私の食歴
(注4)コーラ愛飲・たまにお茶:
コカ・コーラを愛しています。浮気はしません!ただ、最近お茶が側室になってます。。
(注5)20代は苦労したもん勝ち:
20代はとことん思いついたことをやるべきだと思う

スポンサーリンク